今こそ、
「守破離」を
学びなおす時かもしれません。

中世のペストが世界に蔓延したのち、大きな流れとして現れたのは、「ルネサンス」という再生を意味する文化でした。

とするならば、これからのアフターコロナにおいて、不要不急で自粛を余儀なくされている様々な文化が、ひとつの大きな流れとして、やってくるかもしれません。

 

そんな文化の流れが「ふたつめの扉」です。
伝統文化について、次の3つの視点で少しお話します。

 

①伝統文化と守破離
②型破りと形無し
③伝統の学び方とは?

 

 

①伝統文化と守破離
日本での茶道、華道、武道、などなど「道」と名の付く伝統文化では、継承されている教えの一つでもあります。
「守破離」とは、その道の師について、まずは作法からすべて型通りにやることを学びます。

これは、体に染みついて、意識せずともできるくらいまで、ひたすらやり続けます。このころの学びは「まねぶ」とも言われます。ただただ、見て真似るからです。

そして、頭でなく身体で得とくできたら、そこからようやく自分の個性を出していきます。この時期が破です。
それが、型を十分得とくしたうえでの個性として認められていくと、師から離れる離の時期が来ます。

この流れが、「守破離」です。

これは伝統を守るために、必要な教えであると同時に、ビジネスにも通じる考え方です。

 

 

②型破りと形無し
その守破離の考え方の派生で、

「基本の型を会得しないままにいきなり個性や独創性を求めるのはいわゆる「形無し」である。
無着成恭は「型がある人間が型を破ると『型破り』、型がない人間が型を破ったら『形無し』」と語っており、
これは十八代目中村勘三郎の座右の銘「型があるから型破り、型が無ければ形無し」としても知られる。」
ウィキペディアより引用

 全く、このとおりと思います。

私は華道の師範免許を持っていますが、初めのころは、型通りに生けることはそう容易くありませんでした。
しかし、その容易くできないことで、面白くないといって、自由に生けるとどうでしょうか?

自分は、楽しいかもしれません。
しかし、伝統という芸術性は、そこで育つことはないでしょう。
ひたすら、型通り真似ることが、第1歩になります。

それを経て、初めて個性があちこちににじみ出てくるようです。
今では、茶道や武道は、その所作が一番無駄がなく美しいのだと感じるようにもなりました。

 

 

③伝統の学び方とは?
①②から、伝統と呼ばれるものは、型を何年もかけて体得し、その中で歴史や過去からの流れを知るのです。

そして、守るべきものと変えていくこと(破る)ことの本質を見極めることが大事になります。

このことを学ぶことは、大きな転換期であるこの時代にこそ、見直すことではないでしょうか?

つまりは、日本の伝統文化を切り口に、過去からの流れを感じ、今と過去のつながりを感じることも大事なことです。

今の教育改革、コロナで右往左往していますが、今こそ、戦後の学びの「破」の時期だと多くの人は体感しているはずなのです。

継承すべきことと新しく変えることを整理することが、今だからこそ必要なのだと…。

 

今こそ「心身を研ぎ澄ます」感覚で、物事の判断をするときではないかと、感じます。

(撮影 やたけえりこ)

その「道」の過去からの流れを知り、意識せずとも型通りできるようになった時、

ただひたすら、その所作をするだけで、自分の心身が整うのかもしれませんね。

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